発生日:2025年11月28日
11月28日の夜明け前、シリア南部の町ベイト・ジンでイスラエル軍による急襲作戦が行われ、銃撃戦と空爆に発展し、子ども2人を含む死傷者が出たと報じられた。シリア国営メディアは、子ども2人を含む少なくとも13人が死亡したと伝え、負傷者数は24人または25人と報じられた。イスラエル兵も6人が負傷し、うち3人は重傷だった。
イスラエルは、この作戦はイスラエルの民間人に対する攻撃を計画していたジャマー・イスラミヤのメンバーを標的としたものだと述べた。シリアは急襲作戦の正当性に関するこの説明を否定し、侵入とその後の砲撃を戦争犯罪だと非難した。提供された情報源だけでは、死亡した全員の身元を独自に確定することも、イスラエルが標的とした全員が同組織のメンバーだったかどうかを立証することもできない。
夜間の拘束作戦
イスラエル国防軍(IDF)は、イスラエルが支配する境界線から東へ約11キロ、ダマスカスから南西へ約40キロのベイト・ジンに部隊が進入し、武装勢力の容疑者を拘束したと発表した。エルサレム・ポストは、兵士らが容疑者2人を寝床から連行し、町を離れる車列が攻撃を受けたと報じた。
BBCとエルサレム・ポストが伝えたIDFの説明によると、武装した人々が発砲し、イスラエル軍は地上からの射撃と航空支援で応戦した。エルサレム・ポストによれば、イスラエル軍予備役兵6人が負傷し、内訳は重傷3人、中等傷1人、軽傷2人だった。最も重傷の兵士らは病院に搬送され、ハイファのランバム・ヘルスケア・キャンパスでは2人が手術や集中治療を受けた。
IDFはその後、作戦は完了し、容疑者全員を拘束したほか、テロリストとする複数人を殺害したと発表した。シリア国営通信サナは、イスラエル軍が撤退する前に3人が拘束されたと報じており、拘束者数に食い違いがあるが、入手可能な証拠ではその理由は明らかになっていない。
空爆と民間人の死亡
シリアメディアは、住民がイスラエル軍に抵抗し、その衝突に続いて砲撃と空爆が行われたと伝えた。IDFが公開し、BBCが内容を説明した映像には2回の空爆が映っており、1回は人々の集団、もう1回は建物を狙ったように見えた。ボディーカメラの映像には、自動小銃の発砲音が聞こえる中、兵士らが暗い通りで射撃する様子が映っていた。
サナは13人が死亡したと報じた。アルジャジーラはシリア国営メディアを引用し、死者には子ども2人が含まれ、25人が負傷したと伝えた。エルサレム・ポストも同じ死者数を報じたが、負傷者は24人としており、正確な負傷者数は依然として不明だ。BBCによると、地元病院の院長は、搬送された遺体の中に同一家族の5人が含まれていたと述べた。
シリア民間防衛隊は、周辺で移動するものが依然として攻撃対象となっていたため、当初は救助隊がベイト・ジンに入れなかったと述べた。数十世帯がより安全とみられる近隣地域へ避難し、シリアメディアは上空でドローンの活動が続いていたと報じた。こうした状況が救助活動と初期段階の死傷者数の把握を困難にした。
負傷した住民の1人は、アルジャジーラが伝えたAFPの取材に対し、午前3時ごろに銃声で目を覚ましたと語った。住民らは町で兵士と戦車を目撃し、その後、地上部隊が撤退して砲撃が始まったという。この証言は本人の体験を述べたものであり、それだけで作戦全体の経過を確定するものではない。
標的をめぐる対立する説明
イスラエルは、標的をジャマー・イスラミヤのメンバーと特定した。エルサレム・ポストは同組織について、ムスリム同胞団のレバノン支部であり、他の武装組織とともにイスラエルに対抗して活動してきたと説明した。IDFは、標的となった者らがイスラエルの民間人を攻撃する計画を進めていたと述べた。
アルジャジーラが取材した、または同局が言及した地元住民は、町にヒズボラや他の民兵組織が存在するとの見方を否定し、住民の大半は農民や羊飼いだと述べた。この主張はイスラエルの説明と矛盾し、提供された資料から独自に検証することはできなかった。各情報源に共通して裏付けられる中立的な事実は、イスラエルの拘束作戦が武装抵抗に遭い、その後、航空機、ドローンまたは砲兵を含むイスラエルの大規模な火力が使用されたということだ。
シリア外務省は、この作戦を意図的な攻撃であり、全面的な戦争犯罪だと位置付けた。同省は国連安全保障理事会とアラブ連盟に対し、イスラエルによる度重なる侵略だとする行為に対処するよう求めた。これはシリア政府による法的・政治的な位置付けであり、提供された情報源には独立した法的判断は含まれていない。
変化するシリア南部の安全保障地図
この急襲は、2024年12月にシリアのバッシャール・アル・アサド大統領が失脚してから約1年後に起きた。それ以降、イスラエルはゴラン高原に設けられた従来の緩衝地帯を越えて部隊を進め、シリア南部での作戦を拡大していた。イスラエルは、敵対的な武装組織やシリア軍が国境付近で脅威を形成するのを防ぐため、こうした部隊展開と急襲が必要だと主張した。
緩衝地帯は、1973年の第4次中東戦争後の兵力引き離し合意に基づいて設置された。BBCによると、国連はイスラエルによる同地帯への進入は合意違反だとして、双方に枠組みを順守するよう求めた。イスラエルは、ジャバル・アル・シェイクまたはヘルモン山として知られる戦略的な山頂を含む追加拠点も占拠していた。
イスラエル軍はクネイトラ県の一部に検問所を設置し、巡回を行っていた一方、シリア当局と人権団体は、拘束を治安作戦とするイスラエルの説明に異議を唱えていた。そのため、11月28日の急襲はイスラエルによるより広範な活動のパターンに沿うものだったが、多数の死傷者が出てイスラエル兵6人も負傷したことで、異例に激しい衝突となった。
この作戦は、米国がイスラエルとシリアの間の安全保障上の取り決めを仲介しようとしていた最中にも起きた。協議では合意に至っていなかった。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と高官らが最近、シリア南部のイスラエル支配地域を訪問したことでダマスカスは反発し、両政府が同地域の地位をめぐって決着できるのかとの疑念が強まっていた。
11月28日が終わるまでに、主要な事実は明らかになったが、重要な主張については対立が続いていた。イスラエル軍は武装勢力とされる人物を捜してベイト・ジンに進入し、武装抵抗によって兵士6人が負傷し、イスラエルは撤退時に空と地上から攻撃を行い、シリア側の情報源は子どもを含む13人が死亡したと報じた。誰が標的だったのか、また急襲が合法だったのかをめぐる対立は、アサド政権崩壊後のシリア南部で拡大するイスラエルの軍事的プレゼンスをめぐる、より大きな争いの一部として残った。



