発生日:2026年1月19日。 チリはニュブレ州とビオビオ州に災害事態を宣言した。急速に広がる山火事により、少なくとも18人が死亡し、5万人を超える住民が避難を余儀なくされ、多数の住宅が焼失した。消防隊は全国で24件の活動中の火災と闘っており、最も危険な火災は首都の南で燃えていた。
最悪の状況は沿岸都市コンセプシオン周辺で報告され、炎は乾燥した森林を抜けて近隣の地域社会に入り込んだ。初期評価では約250戸の住宅が焼失したと報告された。避難者の多くは、コンセプシオンの北に位置し、合計人口が約6万人のペンコとリルケンという2都市から来ていた。
住民が仮設の緊急避難所に場所を求めるなか、当局はペンコに夜間外出禁止令を出した。一部の小学校は、帰宅できない人々のための一時的な宿泊施設に転用された。政府による災害事態宣言によって追加の資源が利用可能となり、調整権限が拡大され、緊急対応を支援するための軍の展開が認められた。
チリの森林機関Conafは、ニュブレ州とビオビオ州の火災で約8,500ヘクタール、すなわち2万1,000エーカーが焼失したと発表した。航空機が上空からの散水に使われた一方、地上部隊は困難な状況に直面した。強風が炎の拡大を加速させ、チリの大部分はすでに長引く干ばつに見舞われていた。
暑さが危険をさらに増した。予報では、その後数日間、サンティアゴからビオビオにかけての地域で気温が摂氏38度に達する可能性が示されていた。当局は、乾燥した植生、風、極端な暑さが続く間、被害が拡大する可能性が高いと警告した。
避難はサンティアゴの南約500キロに集中した。報道ではペンコの広範な破壊が伝えられたが、提供された証拠からは、市内の最終的な焼失割合は確認できなかった。それでも、確認された状況は深刻だった。数千人が避難し、数百戸の住宅が損壊または焼失し、緊急対応機関は複数の地域にまたがる火災に立ち向かっていた。
チリは、近年の死者を伴う山火事シーズンの経験を抱えた状態で今回の緊急事態を迎えた。サンティアゴ近郊のバルパライソ州で発生した火災では、2年前に120人以上が死亡していた。隣国アルゼンチンも、直前の数週間に数千エーカーの森林を焼いた山火事への対応に苦慮していた。
当面の優先事項は、避難者の居場所を確保し、人口密集地域を守り、予報された暑さと風によってさらに延焼する前に活動中の火災前線を封じ込めることだった。死傷者と被害の評価が続くなか、災害事態宣言は、すでに記録された規模と、状況が悪化しかねないリスクの双方を反映したものだった。大規模な避難により、消防隊が24件の事案に資源を振り分けるなかで、地域の緊急対応能力には負担がかかった。外出禁止令と学校の避難所は、脅威にさらされた地域での移動を減らし、避難者に一時的な退避場所を提供することを目的としていた。消防航空機は封じ込めを支援できたが、強風のため、火災の周縁部を消防隊が確保できる速度には限界があった。



