出来事の日付:2026年4月22日。
ネパールのスダン・グルン内相は、反汚職を掲げて前月に当選して以降、自身の金融取引をめぐる批判が強まる中、4月22日に辞任した。グルン氏はソーシャルメディアへの投稿で、自身に関係する問題について公正な調査が行われるよう辞任すると述べた。また、地位よりも道徳の方が重要であり、国民の信頼こそがより大きな力だと付け加えた。
辞任は政府レベルで確認された。報道顧問のディパ・ダハル氏は、辞表を受理したと述べた。報告では正式な今後の手続きは詳述されていないが、政治的影響は即座に表れた。ネパールの新たな政権陣容で最も著名な人物の一人が、疑惑の渦中で内閣を去った。
グルン氏はネパール政界で急速に台頭していた。前政権の崩壊を後押しした昨年9月のZ世代による抗議活動で中心的役割を担い、その後、変革の象徴として新たな政治秩序に加わった。抗議活動は短期間のソーシャルメディア禁止への反対として始まったが、急速に汚職と経済への怒りへと広がった。
騒乱では死者も出た。2025年9月の2日間にわたる暴力行為で少なくとも76人が死亡し、2,500人以上が負傷した。この経緯は、グルン氏の辞任がそれほど重い意味を持つ理由を物語っている。同氏は単なる閣僚ではなく、今や自らの信頼性を問われている政府の誕生を後押しした運動の一員だった。
1月、グルン氏は国民独立党(Rastriya Swatantra Party)に加わり、同党が3月の選挙で地滑り的勝利を収める中、国会議員に当選した。この躍進によって同氏は政府で最も目立つ新人の一人となり、国内治安を担う内相に就任すると厳しい監視の目を向けられた。
報告によると、同氏の投資や資産に加え、マネーロンダリングの捜査対象となっている物議を醸す実業家との関係をめぐって疑惑が浮上した。4月20日、グルン氏はこれらの主張をうわさだとして退け、非難と真実は同じではないと主張した。その2日後の辞任は、圧力がいかに急速に高まったかを示している。
政治的な打撃は一個人に限られない。グルン氏は、行動規範上の問題で労働相が解任されたのに続き、新政権を去る2人目の閣僚となった。この相次ぐ離脱は、選挙と抗議活動がもたらした急速な移行を経たばかりの若い政権が、なお体制の安定に苦慮していることを示唆する。
現時点で重要な事実は、辞任、公正な調査を望んでいるとの本人の主張、そして政府が辞表を受理したとの確認である。



