出来事の日付:2026年5月10日。
ワシントンが戦闘終結を目指す解決案を提示した後、イランからの回答がイスラマバードに届いたと、パキスタンのシャバズ・シャリフ首相が明らかにし、イスラマバードがテヘランとワシントンの仲介役を引き続き担っていることを確認した。イランの回答に対する米国の即時の反応は報じられていない。
イラン国営テレビは、テヘランの回答が、特にレバノンに重点を置いた地域全体での戦闘終結と、ホルムズ海峡を通る海上交通の保護を取り上げたものだと伝えた。戦略的に重要な同海峡を再開する時期や仕組みは示さなかった。米国の提案は、交渉がイランの核計画を含むより困難な問題へ移る前に、戦闘を終わらせることを求めていた。
シャリフ首相はイスラマバードでの行事で、この進展を発表した。首相は、パキスタンが地域および国際社会の平和を誠実に追求しており、アシム・ムニール陸軍元帥からメッセージが届いたとの報告を受けたと述べた。首相は今回のやり取りを、4月11日と12日にイスラマバードで開催された米国とイランの直接協議を含む、パキスタンのこれまでの外交活動と結び付けた。この協議は、1979年のイラン革命以降、両国政府間で行われた最高レベルの直接会談と説明されていた。
パキスタンはその後、当事者間の連絡を仲介し、長期化した対立の解決を促してきた。匿名を条件にアラブニュースに語ったパキスタンのある高官は、イスラマバードでの次回協議に向けた準備が進んでおり、数日以内に発表が行われる可能性があると述べた。この情報は匿名の情報源によるもので、なお策定中の計画について述べたものだったため、2回目の会談が確定したことを示すものではなかった。
こうした外交活動は、不安定な小康状態の中で進められた。複数の湾岸諸国政府は、それまで約48時間にわたって比較的静かな状態が続き、週の前半には断続的な衝突があった中、同日に正体不明の威嚇的な航空機が領空内で確認されたと報告した。この動きは、約1カ月にわたり停戦が維持されていたにもかかわらず、再び緊張が激化する危険性を浮き彫りにした。
ホルムズ海峡の支配は、紛争とその広範な経済的影響の双方にとって、引き続き中心的な問題だった。提供された報道によると、イランは2月に戦争が始まって以降、同海峡の通航を制限し、米国は翌月、イランの港湾に対する対抗封鎖を実施した。同海峡は世界の主要なエネルギーと貨物の輸送路であるため、長引く混乱が国際的なエネルギー危機と世界経済への圧力につながっていた。
イランの回答が届いたことは手続き上の前進ではあるが、合意成立を意味するものではない。イラン国営テレビの説明によれば、その内容は米国の二国間提案を他地域での戦闘および海運の安全と関連付けていた。パキスタンの役割により、双方は外交を継続するための連絡経路を得たが、示された情報には、受け入れられた停戦条件、次回交渉の日程、あるいはワシントンがテヘランの回答を十分なものとみなしたことを示す材料は含まれていなかった。



