発生日:2026年5月31日
アベラルド・デ・ラ・エスプリエジャはコロンビア大統領選挙で首位となり、進歩派のイバン・セペダ上院議員と6月の決選投票に進んだ。開票率99.98%の時点で、選挙当局はデ・ラ・エスプリエジャの得票率を44%、セペダを41%と発表し、いずれも第1回投票で勝利するために必要な過半数には届かなかった。
退任するグスタボ・ペトロ大統領の盟友であるセペダは、正式に反応する前に選挙当局が集計結果を精査するのを待つと述べた。セペダとペトロは、数十万票と外国の関与が結果に影響したと主張したが、AP通信の報道によると、両者はその主張の証拠を示さなかった。それでもセペダは、決選投票になる可能性が高いと認めた。
デ・ラ・エスプリエジャは部外者として政界入りし、武装集団への強硬な対応を訴えて選挙運動を行った。「エル・ティグレ」の名で知られる同氏は、大規模刑務所10カ所の建設を公約し、ドナルド・トランプ米大統領を敬愛していると自らを位置付けた。首位となったことで、別の保守系候補を支持していた有権者の支持獲得を目指せる立場となった。
セペダは、ゲリラ組織や犯罪組織と広範な和平を交渉しようとするペトロの試みを継続することを提案した。この政策は、交渉中に武装集団が支配地域を拡大したことで難航していた。コロンビアがコロンビア革命軍との和平協定に署名してから10年がたった後も、暴力は選挙の主要な懸念事項だった。武装攻撃やドローン攻撃が選挙戦を取り巻く環境に影響し、大統領候補だったミゲル・ウリベ・トゥルバイは前年6月、集会で銃撃され死亡していた。
この結果は、再燃した紛争への対処方法をめぐる対照的な見解を浮き彫りにした。デ・ラ・エスプリエジャの提案は、殺人件数を減らした一方で人権侵害との批判を招いた、エルサルバドルのナジブ・ブケレ大統領によるギャングへの強硬政策を想起させるものだった。セペダの支持者らは、ペトロの改革や治安実績の不備を認めながらも、軍事力に大きく依存する作戦への回帰はコロンビアの暴力の連鎖を長引かせる可能性があると主張した。
ペトロは最低賃金の引き上げを含む政策への支持を維持していたが、選挙は部分的に同政権への審判として機能した。選挙戦終盤の数週間におけるデ・ラ・エスプリエジャの急伸は、しばしばセペダを首位としていた世論調査を覆した。この結果は、別の保守系候補が敗れたことでウリベ主義も弱体化させた。
第1回投票の集計で決まったのは、最終候補者2人だけだった。操作に関する主張は証拠によって裏付けられないままであり、最終的な結果は決選投票にかかっていた。両陣営は、武装集団との交渉継続か、懲罰的な治安政策かという選択肢を提示して、その段階に入った。票はなお公式な精査の対象だったため、報告された得票率は法的拘束力のある最終宣言ではなく、ほぼ完了した集計を表すものだった。
他の保守系候補の支持者を取り込むうえでデ・ラ・エスプリエジャが優位にあるとの予測は、決選投票の力学に関する評価であって、第2回投票の結果ではなかった。セペダも第1回投票の41%と確立された進歩派の支持基盤を得て、次の選挙戦に臨んだ。決選投票では、思想的な結集が初回集計をめぐって示された懸念を上回るかどうかが問われることになる。



