出来事の日付:2026年6月28日。 イランのアッバス・アラグチ外相は、元最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイ師のイラクでの葬儀と、より広範な地域外交に焦点を当てた会合のため、バグダッドに到着した。

イラン外務省によると、今回の訪問では、シーア派イスラム教で最も重要な聖廟がある2都市、ナジャフとカルバラをハメネイ師の遺体が通過するための物流・警備上の手配を最終決定する。遺体は7月8日に両都市へ到着し、その後、埋葬のためマシュハドへ移送される予定だった。

国境を越えて行われる式典には、イランの儀典担当者とイラクの治安部隊の協力が必要だった。主催者は大規模な市民の集まりと地域の要人の出席を見込んでおり、群衆管理、経路の警護、両政府間の調整の重要性が増していた。

提供された報告によると、ハメネイ師は2月28日、テヘランで米国とイスラエルによる共同空爆を受けて死亡した。イラン当局が戦争と安全保障上の脅威を理由に挙げたため、埋葬されないまま100日以上が経過した。イラクでの葬送儀礼は、マシュハドでの埋葬を前に、その長期にわたる公的な服喪期間を締めくくることを意図していた。

アラグチ外相は葬儀の手配に加え、バグダッドで高官級協議を行う予定だった。イラクはしばしばイランと米国の仲介経路として機能しており、今回の訪問は、不安定な地域紛争を管理する取り組みが続く中で行われた。その役割により、外相にはイラク当局者に状況を説明し、事態の進展がイラク自身の安全保障にどのような影響を与え得るかを協議する機会が生まれた。

アル・マヤディーンは匿名の情報筋を引用し、アラグチ外相がスイスで最近行われた非公開の米国・イラン間接触について協議すると報じた。この点はイランまたはイラクの公式声明で確認されておらず、したがって確定した議題ではなく、メディア報道にとどまっていた。

予定された式典の10日前という時期は、両国がこの作業を単なる通常の移送以上のものと捉えていたことを示した。ナジャフとカルバラは国境を越えて宗教共同体を結び付けている一方、イラク国内にはテヘランとの関係がそれぞれ異なる政党や武装組織が存在する。このため葬儀の警備は、実務上の複雑さに加えて政治的な機微も伴っていた。

イランにとって、ハメネイ師の遺体をイラク経由で移送することは、国家的追悼行事に宗教的象徴性を加えるものだった。バグダッドにとって、式典を受け入れることは、シーア派の宗教的地理におけるイラクの位置付けを再確認するとともに、隣国が関与する戦争の外交的影響に同国をさらすことでもあった。

証拠からは、アラグチ外相の会合でどのような合意が成立したのか、または7月の日程が変更される可能性があるのかは分からなかった。裏付けられたのは、外相到着の目的、すなわち、儀礼上の区切りと進行中の紛争が重なる時期に、延期されていた複数都市を経由する葬送の手配を行いながら、政治協議を維持することだった。イラク当局者は会合前、自らの議題を公に説明しておらず、合意された立場について判断するには限界があった。