ベン・キャロルは、ジャシンタ・アランの辞任を受けてビクトリア州労働党の党首となり、ビクトリア州の第50代首相に就任した。2026年7月28日の就任により、11月の選挙まで約4カ月となった州政府のトップに新たな指導者が立った。

51歳のキャロルは2023年からアラン州政で副首相を務め、教育相を兼任していた。州首相に至るまでには、法律の教育、政治顧問としての仕事、そして2012年からニドリー選挙区を代表してきたビクトリア州議会での10年以上の経歴がある。

メルボルン北西部のエアポート・ウェストで育ったキャロルは、自身の生い立ちを、両親が築いた実家と電気工事会社に結び付けて語ってきた。州議会での初演説では、会社名のG B K Electricsはグレッグ、ベン、ケイを表していると述べた。また、カレッジと大学で学びながら、エアポート・ウェストのKmartで8年間働いたことも語った。

キャロルはラ・トローブ大学で法律を学び、小売業で働いていた際に店舗・流通業関連従業員協会に加入した。その後、労働党のスティーブ・ブラックス州首相の下で政治顧問となり、連邦政治家のビル・ショーテンとスティーブン・コンロイの下でも働いた。ABC News Australiaによると、元州首相ジョン・ブランビーも、かつての部下であるキャロルを称賛した労働党幹部の一人だった。

ニドリーから州の最高職へ

キャロルは、ロブ・ハルズの辞任に伴って行われた2012年のニドリー補欠選挙に向けた労働党の候補者選考で、後に財務相となるジャクリン・サイムズを破った。モナシュ大学の政治学教授ザレ・ガザリアンがABCに語ったところによると、2014年に労働党が政権へ復帰した後、キャロルは十数の閣僚ポストを歴任した。

労働党指導部におけるキャロルの立場は、2023年9月のダニエル・アンドリュース辞任後の移行期に固まった。ガザリアンによると、アンドリュースがアランを支持していたにもかかわらず、キャロルは州首相の座を目指し、最終的には副党首の地位を得て、有力な後継者としての足場を築いた。

キャロルの教育相在任中には重大な問題もあった。ABCは、12年生の試験結果が誤って公表されたことと、未解決の賃金紛争中に教員および教育職員が行った2度の州全域ストライキを挙げた。州首相となったキャロルは、12年間政権を担ってきた政府を率いて再び選挙に臨むという、より大きな課題も引き継いだ。

キャロルはすでに、この選挙戦で中心になると考えるテーマを示していた。6月初め、労働党は長期政権であるにもかかわらず「反乱勢力」のように行動し、地域社会の安全、経済成長、そしてビクトリア州がビジネスに開かれた場所であると示すことに集中する必要があると述べた。ガザリアンは、投票日までに新たな労働党党首が直面する最大の争点は法と秩序になるだろうと述べた。

作家でスピーチライターのジョエル・ディーンは、キャロルを現実主義的な進歩派と評価し、その協議重視の姿勢は、アンドリュース=アラン路線の単純な継続というより、ブラックス=ブランビー時代に近いものだとした。この解釈は、次期州首相が表明した政策綱領ではなく、専門家による評価にとどまる。

ビクトリア州では、選挙の年に州首相を交代した前例はほとんどない。ABCは、1981年に就任したリンゼイ・トンプソンの例を挙げた。トンプソンは307日間在任した後、1982年の選挙でジョン・ケインに敗れた。そのためキャロルは、当面の統治責任と、有権者が再び投票所へ向かうまでに自らの指導者像を打ち出すための限られた期間の両方を抱えて就任した。