発生日:2026年8月3日
ロシアの野党政治家ボリス・ナデジディン氏は、国家による圧力が強まるなか、9月の議会選挙への立候補を目指す活動を中止してから数日後、ロシアを離れたと発表した。テレグラムに投稿した動画では、パリのエッフェル塔の前に姿を見せ、もはやロシアにはいないものの、生きており自由だと述べた。
ナデジディン氏は、いつ、どのように出国したのかを正確には説明しなかった。同氏は以前、当局によって出国を禁じられていると述べていた。したがって、国外に姿を現したことで現在地は確認されたものの、出国に至った経緯は未解明のままだった。同氏は、自身の状況を見極め、今後の対応を決定し、計画についてさらに情報を公表すると述べた。
ナデジディン氏は7月、過激派に分類されたシンボルを表示したとして、1,000ルーブル(13ドルと報道)の罰金を科されていた。それ以前には、ロシア当局から外国エージェントに指定され、公職への立候補ができなくなっていた。こうした措置により、計画していた議会選挙運動の中止を余儀なくされた。
ナデジディン氏は前月のインタビューで、当局からの圧力が強まっているため、自身と家族が国外移住を検討していると述べた。ロシアに残ることを望んでいるとしながらも、投獄される可能性を認め、その事態は避けたいと語った。入手可能な報道では、拘束命令が出されたとは伝えられていない。
ナデジディン氏は、2024年大統領選でウラジーミル・プーチン氏に挑戦しようとしたものの実現しなかったことで、全国的に知られるようになった。ウクライナでの戦争終結を掲げて選挙運動を行ったが、立候補することはできなかった。それ以前の政治経歴には、1990年代後半に元首相ボリス・ネムツォフ氏の顧問を務めたことや、別の元首相で、後にクレムリンの大統領府第1副長官となったセルゲイ・キリエンコ氏の補佐官を務めたことが含まれる。
同氏は1999年から2003年まで国家院議員を務め、その後、2019年から2024年までモスクワ州の地方議会議員を務めた。こうした経歴により、同氏の出国は、それまで無名だった活動家の亡命とは異なるものとなった。同氏は連邦政治の場でも活動し、後にロシアの公的領域で対立する立場に立った人物たちと関係する役職にも就いていた。
ナデジディン氏は、まだロシアに戻っていないと述べることで自身の状況を一時的なものと表現したが、帰国日は示さなかった。この発表で確認されたのは、公職に就く資格を失った後、同氏がフランスに到着し、将来を再検討していることだけだった。亡命申請、国外での法的地位、参加する意向のある新たな組織については明らかにしなかった。
パリでの動画公開に先立ち、国内で選挙運動を行うための実務的な条件を二つ失っていた。公職に就く資格と、認識されている投獄リスクなしに活動する自由である。それでも、政界引退を表明したわけではなかった。追加情報を公表するとの約束により、国外から、あるいは別の形で野党活動を続けるのかは未定のままとなった。



