出来事の日付:2026年8月10日

月曜日の朝、マグニチュード7.4の地震がコロンビア西部を襲い、複数の都市で建物が倒壊した。発生日の報道によると、100人以上が死亡した。救助隊が損傷した建物の捜索を続けるなか、死傷者数は増加した。

コロンビア地質調査所は、震央をチョコ県の山間部にある自治体サン・ホセ・デル・パルマル付近とした。地震は現地時間午前7時34分に始まり、震源の深さは約103キロだった。コロンビア西部の大部分で揺れが感じられ、遠く離れたパナマ、エクアドル、ベネズエラにも及んだ。

初期報道では死者数は100人を超えていた。翌日の更新で、BBCは死者が少なくとも169人、負傷者が900人以上に増えたと報じた。当局者は、なお人々が閉じ込められており、数字が増える可能性があると警告した。この後の集計では、カリで85人、ペレイラで66人が死亡したとされ、震央から離れているにもかかわらず、この2都市が災害の中心となった。

西部各都市に広がる被害

コロンビア第3の都市カリは、広範な建造物被害を受けた。地元当局は約30棟の建物が倒壊したと報告し、大きな亀裂のある建物から退去するよう住民に呼びかけた。ペレイラも甚大な被害を受けた。BBCが検証した映像には、市内のボリバル広場付近で建物が崩れ、中央広場ががれきとほこりに覆われる様子が写っていた。

マニサレス、アルメニア、ブエナベントゥラでも死者と建造物の被害が報告された。ペレイラ、マニサレス、キブド、アルメニア、カルタゴ、ブエナベントゥラの各地方空港が損傷し、被災地域内の移動が困難になった。ボゴタでは木々や信号機が揺れ、一部の建物に亀裂が生じたものの、深刻なインフラ被害は直ちには報告されなかった。

サン・ホセ・デル・パルマルでは、際立った対照が見られた。自治体に出入りする道路は損傷したものの、市長によると、同地では死者も負傷者も出なかった。被害の多くは、数百万人が密集した市街地で暮らす、より人口規模の大きな都市部で発生した。

目撃者らは、長く続く激しい揺れについて語った。カリでは、ある旅行者が、眠っているところを揺れで起こされ、パートナーと寝間着姿のまま外へ逃げたと話した。ホテルの壁には亀裂が入り、しっくいが剥がれ落ちていた。マニサレスでは、れんがの落下、ガラスの破損、人々の叫び声が報告された。地元の気象学者の1人は、厳格な耐震建築規則のおかげで、自分の建物は揺れに耐えられたと述べた。

国家災害対応を宣言

アベラルド・デ・ラ・エスプリエジャ大統領は国家災害を宣言し、救助活動を調整する統合指揮センターを設置した。この宣言により、政府はより迅速に資源を振り向けられるようになった。就任からわずか数日後の新大統領は、この地震によって重大な緊急事態に直面した。

各国・地域から支援の申し出が相次いだ。米国は状況を注視しており支援の用意があると述べ、エルサルバドルは救助要員と機材を提供すると申し出た。欧州連合(EU)は対応を支援するため、衛星観測プログラム「コペルニクス」の機能を投入した。

BBCは米地質調査所を引用し、約150万人が強い揺れを経験したと報じた。米地質調査所によると、深い地震は通常、浅い地震より危険性が低いものの、それでも建物に被害を与える可能性があり、余震は回数が少ない一方で強くなる場合がある。コロンビアはプレートが接する地点に位置するため地震が頻発するが、大半は体感できないほど弱い。

同国では過去にも壊滅的な地震が発生している。1999年にはアルメニア付近で発生したマグニチュード6.2の地震で1,000人近くが死亡し、1983年のポパヤン地震では数百人が死亡した。8月10日の災害は、強力な地震による人的被害が、遠隔地の震央から人口の多い都市へ移り、そこで最大化し得ることを改めて示した。

後の更新時点で、確認された死者数は169人、負傷者は900人以上だった。発見段階で示された死者288人という数字は、提供された報道では裏付けられなかったため、ここでは使用していない。