2026年8月17日、ラスベガスで、ラッパーのトゥパック・シャクールが1996年に殺害された事件を巡り、関係者として唯一起訴されたデュアン・「ケフィD」・デイビス被告の殺人裁判で冒頭陳述が始まった。63歳のデイビス被告は、犯罪組織を助長、促進または支援する意図で凶器を用いた殺人の罪について無罪を主張した。有罪となれば仮釈放なしの終身刑に直面する。
シャクールは1996年9月7日、デス・ロウ・レコード幹部のマリオン・「シュグ」・ナイトが運転するBMWに乗っていたところを銃撃された。白いキャデラックが横付けし、何者かが発砲してシャクールに4発を命中させた。シャクールは6日後に死亡した。この襲撃に先立ち、MGMグランドでは衝突があり、防犯カメラの映像には、シャクールと仲間らが、デイビス被告のおいでサウス・サイド・コンプトン・クリップスのメンバーとされるオーランド・アンダーソンを暴行する様子が記録されていた。
検察は、銃撃がアンダーソンへの暴行に対する報復だったと主張している。検察はデイビス被告について、銃を提供して襲撃を命じた計画者だったとしているが、本人が発砲したとは主張していない。アンダーソンは事情聴取を受けた際に関与を否定し、起訴されることはなかった。1998年、別の銃撃事件で死亡した。
この事件は、非協力的な証人や死亡した証人、限られた物的証拠のため、30年近く未解決のままだった。デイビス被告は、ラッパーのクリストファー・「ザ・ノトーリアス・B.I.G.」・ウォレスが殺害された別の事件の後年の捜査で、ロサンゼルス市警に事情を説明した。その場で提供した情報について訴追を免れる保護を受け、シャクールが銃撃された際にキャデラックの車内にいたと述べた。
数年後、デイビス被告は事件について公に語った。2019年の回想録 Compton Street Legend で、殺害に使われた銃を車の後部座席へ渡したと記した。また、その夜について説明するメディアインタビューにも応じた。ラスベガス警察は、こうした公の証言を受けて捜査を再開したと述べた。捜査員らは2023年に自宅を捜索し、コンピューター、写真、シャクール関連の資料を押収した。
したがって、検察側の立証はデイビス被告自身の言葉に大きく依存している。弁護側は、本の一部は創作だったとし、そうした記述を信頼できる自白として用いることに異議を唱えている。この対立により、公表された発言の意味、文脈、信用性が陪審員にとって中心的な争点となる。
この裁判はまた、1990年代のギャング間抗争と、西海岸のデス・ロウ・レコードと東海岸のバッド・ボーイ・レコードを巡る対立が暴力的に重なった歴史を改めて扱う。その歴史は背景事情となるが、それでも検察はデイビス被告個人の刑事責任を合理的な疑いの余地なく証明しなければならない。冒頭陳述は対立する主張を示すものであり、証拠でも評決でもない。長い年月が経過したことで、あらゆる説明の出所と一貫性が、弁護側と検察側の双方にとって特に重要になった。



