出来事の日付:2026年8月24日
シリアの裁判所は、バッシャール・アル・アサド前大統領の統治下で暴力を扇動し、殺害を正当化したことなどの罪で、元最高位イスラム法学者アフマド・バドルッディーン・ハスーンに有罪判決を下し、終身刑を言い渡した。拘束中のハスーンは、ダマスカスの司法宮殿で行われた審理に出席した。
アルジャジーラによると、第4刑事裁判所は、ハスーンが軍事・治安作戦を支持するために宗教上の職務を悪用したと認定した。ファフル・アルディン・アル・アリヤン判事は、アサド政権下の公的宗教機関が暴力に宗教的な正当性を与え、広範な破壊をもたらした民間地域への樽爆弾攻撃を正当化したと述べた。判事はその行為を国際人道法違反と位置付けた。
アルジャジーラによると、裁判所は、殺害を扇動した罪で20年、殺害を長引かせた罪で10年など、罪状ごとに複数の刑期を科し、併合した判決は終身刑となった。裁判所はまた、ハスーンに被害者への賠償を命じ、金銭と財産を国庫のために没収し、一般恩赦または特別恩赦の恩恵を受けることを禁じた。
判決は、ハスーンの公開講演やメディアでの発言に言及した。裁判所は、ハスーンがシリアの将校と兵士に反体制派と対決するよう促し、アレッポ東部の民間人に自宅を離れるよう呼びかけ、砲弾が発射された地域を破壊するよう軍に求めたと認定した。これらはアルジャジーラが報じたシリアの裁判所の認定であり、提供された証拠には、独立した検証が可能な記録や録音は含まれていなかった。
ハスーンは2005年から、その職が廃止された2021年まで、シリアのイスラム教最高位聖職者を務めた。APとDWは、ハスーンをアサドの政策を声高に支持した人物と説明した。アルジャジーラによると、ハスーンはその1カ月前に潜伏先から姿を現した後、2025年3月にダマスカス空港で逮捕され、裁判は2026年6月25日に始まった。DWは、ハスーンが77歳で、公の宗教行事で長年アサドと密接に関係していたと報じた。
この事件は、旧政権と関係する人物を対象とした一連の訴訟手続きの一部だった。APによると、欠席裁判で判決を受けた複数の高官とは異なり、ハスーンは裁判に出席した。提供された報道によると、アサドと弟のマーヘルは最近、欠席裁判で死刑判決を受け、アサド一族のアティフ・ナジブとワシム・アル・アサドは出廷して裁判を受け、同じく死刑を言い渡された。
アサード・アル・シャイバニ外相はハスーンへの判決を歓迎し、シリア国民の権利を守ることは継続的な責務だと述べた。アルジャジーラによると、主にオンラインで活動するハスーンの支持者の一部は、彼の発言が文脈から切り離されたと主張した。これとは対照的に、一部の批判者は死刑を求めていた。
より広範な裁判手続きには、正反対の反応が寄せられている。APとDWによると、多くのシリア人は、新当局の対応が遅すぎると批判したうえで、アサド政権期の当局者に対する措置を歓迎した。人権団体は、裁判が性急に進められており、公正さの基準を満たさない可能性があるとの懸念を示している。
ヒューマン・ライツ・ウォッチの中東・北アフリカ局長バルキース・ジャラー氏は、重大犯罪の責任追及には有罪判決だけでなく、公平で独立し、能力を備えた司法制度が必要だと述べた。DWが伝えた同氏の声明は、ハスーン個人の事件における事実認定ではなく、形成されつつある手続きの質に言及したものだった。
シリアの紛争は、政府が2011年に反政府デモを暴力的に弾圧した後に始まった。APによると、戦争は約14年間続き、約50万人が死亡し、戦前に2,300万人だった人口の半数以上が避難を余儀なくされた。アサドは、イスラム主義勢力主導の反政府勢力による急速な攻勢を受けて2024年12月に失脚し、国外に逃亡した。DWは、アサドがロシアにいるとみられていると報じた。
ハスーンへの判決が重要だったのは、彼がアサド一族や治安機関の指導者ではなく、宗教当局者だったためだ。アルジャジーラは、こうした移行期の事件で裁かれた初のスンニ派聖職者だと説明した。この評決によってハスーンに対する裁判所の判断が確定した一方、より広範な訴訟手続きの速度と公正さをめぐる懸念は解消されないままだった。



