市民的自由を専門とする弁護士のシンディ・コーン氏とセキュリティ技術専門家のブルース・シュナイアー氏が、米国の大規模監視を幅広く再評価するよう求めた。9月11日の同時多発テロ後に開発されたシステムが、当初の国家安全保障という根拠をはるかに超えて拡大していると主張している。

9月15日に公表した論考で、両氏は、特定の人物を対象にする監視と、ネットワーク全体や集団全体から情報を集める手法を対比している。両氏によると、2001年以降の変化には、電話やインターネットのメタデータの一括収集や、主要な通信接続拠点での傍受が含まれる。両氏の説明では、こうした手法はもはやテロ対策プログラムに限定されていない。

コーン氏とシュナイアー氏は、移民法の執行、地域の警察活動、民間運営のシステムを、同じ拡大し続ける仕組みの一部として挙げている。具体例には、各種会場の顔認識システム、ネットワーク化されたナンバープレート読み取り装置、政府機関による商用データの購入が含まれる。論考は、公的機関が民間企業によって最初に収集された情報を入手できるため、企業による監視と国家による監視の境界がますます曖昧になっていると主張する。

両氏は、電話記録の一括収集をめぐる法的な経緯も振り返っている。プログラムが大統領権限を根拠とする主張の下で始まり、後に愛国者法第215条と結び付けられ、2013年のエドワード・スノーデン氏による暴露後にその存在が公に認められた経緯を説明している。2015年に連邦控訴裁判所が政府による第215条の解釈を退け、その後、連邦議会が米国自由法を可決した。論考によると、この法律は従来の無差別収集モデルを終わらせた一方で、電話記録の大規模な取得を引き続き認めていた。

ほかの収集プログラムは存続している。両氏は、通信インフラで通信を傍受し、外国情報監視法改正法の第702条に基づくものとされた、国家安全保障局(NSA)のUpstreamプログラムを挙げている。NSAが監視裁判所からの圧力を受け、2017年に内容検索の一形態を終了したことを指摘する一方、広範な収集は続いており、米国内の人々が関わる通信も必然的に取り込まれると主張する。

両氏の批判の中心は、あらゆる監視手法に捜査上の価値がないということではない。そうではなく、政府が費用、便益、代替策について包括的な説明を公表しておらず、対象を絞った取り組みでは阻止できなかった攻撃を、一括収集の手法が防いだと実証してもいない、という点にある。国内の警察活動や移民法の執行についても同様の議論を展開している。そこでは、事業者や機関が、独立した検証を受けた治安上の成果ではなく、個別の事例や活動件数を挙げることが多い。

この論考は、長年監視を批判してきた2人による主張であり、政府の新たな政策発表ではない。現時点でのニュースとしての意義は、同時多発テロから25年の節目に、両氏が政策上の課題を突き付けようとしていることにある。すなわち、大規模監視プログラムを証拠に基づく検証の対象とし、得られる便益があるなら権利や自由への影響と比較衡量し、情報を多く集めれば必ず安全性が高まるという前提を捨てるよう求めている。