フリーソフトウェア財団(FSF)によるLibrephoneプロジェクトの発表は、ユーザーの自由という理念により合致する携帯電話という、かねてからの目標を再び視野に入れるものだ。提供されたfsf.orgの情報源は、このプロジェクトを完成品ではなくFSFの取り組みとして位置付けている。この点が重要なのは、今回の発表が市場投入可能な端末ではなく、方向性と意図に関するものだからである。
携帯電話は、フリーソフトウェアの支持者にとって常に難しい領域だった。現代のモバイル機器は、ベースバンド部品、プロプライエタリなファームウェア、アプリストア、通信事業者との関係、厳格に管理されたハードウェア・エコシステムを組み合わせている。そのため携帯電話は、人々が最も依存している機器でありながら、持ち歩くコンピューティング機器の中でも最も制約が多いものの一つとなっている。
したがってLibrephoneは、なじみ深い一方で今なお未解決の議論の中に登場する。デスクトップとサーバー上のフリーソフトウェアには、長年にわたり豊富なツールとディストリビューションのエコシステムが存在してきた。しかし携帯電話では、同じ理念がベンダーロックインと不透明なハードウェアという壁に突き当たる。FSFの発表は、同団体が再びその境界を押し広げようとしている、あるいは少なくともそこに圧力をかけ続けようとしていることを示唆する。
提供された証拠は発表の見出しとタイトルだけであるため、プロジェクトの技術的範囲や、それがリファレンス設計、啓発活動、コードベース、ハードウェア上の協業のいずれなのかは説明されていない。この制約は重要である。それでも名称だけで、その目標は伝わる。モバイルコンピューティングのブラックボックス型システムへの依存を減らし、ユーザーによる制御との整合性を高めることである。
その目標には実際的な意味がある。ユーザーは、ソフトウェアを調査し、部品を交換し、強制されるサービスを避け、自分自身の条件で機器を動かし続けられることを重視する。フリーソフトウェアの支持者も同じ点を重視するが、それに加えて、コンピューティングのためにベンダーへ制御権を明け渡す必要があってはならないという、より深い原則も重視している。Librephoneのようなプロジェクトは、その原則をモバイルの文脈へ移そうとする一つの試みである。
発表の時期にも意味がある。携帯電話が本人確認、決済、メッセージ、認証において中心的な存在になるにつれ、閉鎖的なプラットフォームがもたらす代償は大きくなる。監査や改変が難しい機器は単に不便なだけではなく、長期的な依存関係になり得る。Librephoneを発表することで、FSFはモバイルの自由を、解決済みではなく今なお存在する問題だと考えていることを示している。
このプロジェクトが市場を直ちに変えると証拠が示しているわけではなく、そうなると決めつけるのは無責任だろう。自由なモバイルハードウェアの実現は、常に困難だった。しかし今回の発表は重要な議論を継続させる。フリーソフトウェアがユーザーにコンピューティングの制御権を与えるものであるなら、携帯電話だけをいつまでもその基準の例外にすることはできない。
ニュースとしてのLibrephoneの重要性は、製品発表というより、継続する意思の表明にある。FSFは、携帯電話が挑む価値のある最前線だと改めて主張している。プロジェクトがさらに発展すれば、最も難しい問題はおそらく、ハードウェア対応、ベースバンドからの独立、そしてモバイル・エコシステムが通常求める妥協の中で自由というモデルを維持できるかどうかに関わるだろう。今回の発表はそうした問いに答えてはいないが、問いを見える状態には保っている。実際的な意味で、それによってLibrephoneは、モバイル機器を真にユーザーが制御できるものにできるのかを巡る、より長期的な闘いの一部となる。今回の発表が出発点にすぎないとしても、FSFが今なお携帯電話を、ソフトウェアの自由を求めて取り組むべき最も重要な領域の一つと考えていることを示している。



