コリイ・ドクトロウ氏は最新の投稿で、新作テクノスリラーの発売を機に、テクノロジーと規制をめぐるより広範な主張を展開している。すなわち、ある種の不正行為は、ソフトウェアで包み込まれると持続させやすくなるというものだ。彼の端的な表現は容赦がない。アプリを使ってやれば、人々は往々にしてそれを犯罪として扱わなくなる、と彼は言う。

この抜粋はまず交通と住宅を取り上げ、アプリによって無許可のタクシー営業や違法なホテル客室が普通のことのように感じられると指摘する。続いて労働と価格設定へと論点を広げ、ソフトウェアは賃金窃盗を覆い隠し、本来なら明らかに反競争的または搾取的に見える行為を業界が足並みをそろえて行うのを助け得ると論じている。要点は、アプリが魔法のようにこうした害を生み出すということではなく、それを覆い隠せるということだ。

ドクトロウ氏は、この主張をインフレにも結び付けている。企業権力の集中とカルテル行為が物価上昇を促してきたとし、企業はインフレ率を上回る値上げを行える能力について、投資家にしばしば誇示してきたと述べている。この抜粋は、飲料、消費財、食品供給の事例を挙げ、市民には市場原理によるものと見えている場合でさえ、価格決定力が公然と行使され得ることを示している。

投稿の中でも特に痛烈な部分は、食品システムに焦点を当てている。ドクトロウ氏によると、スーパーマーケットの棚ではブランドの背後に集中が隠される一方、外食産業向け供給のカルテルは消費者にとってさらに見えにくい。この主張は、アプリという層と市場の複雑さによって、企業がその背後の構造を市民に認識されることなく、現実世界で害を及ぼしやすくなるというものだ。

この投稿には宣伝的な側面があるが、主役はその論旨だ。ドクトロウ氏は小説の発売をきっかけに、以前から繰り返してきた批判を展開している。ソフトウェアによって事業のカテゴリーが変わると規制当局や消費者が言い聞かされると、その根底にある行為を見落としかねないというものだ。その意味で、アプリそのものが犯罪なのではない。アプリは迷彩なのだ。

この抜粋は、何か一つの新たな不祥事を立証すると主張しているわけではない。代わりに、複数の業界にまたがる行動パターンを論じている。そのため、この記事は製品発表というより、テクノロジーが従来からある不正を見えにくくし、常態化させやすくする仕組みについての政治経済的な論評となっている。 この主張に説得力があるのは、消費者向けの利便性と、隠れた構造的被害を結び付けているからだ。ソフトウェアで包むことで、疑わしい慣行を摩擦のないものに感じさせられ、その摩擦が消えると、外部の人々が根底にある行為に異議を唱えることは難しくなる。

ドクトロウ氏のより大きな主張は、規制が製品設計に後れを取りがちだということだ。有害な慣行がアプリの中で常態化する頃には、利用者はすでにそれを日常的なものとして受け入れているかもしれない。だからこそ、この投稿はソフトウェアへの不満というより、ビジネスモデルがどのように自らを偽装するかについての議論として読める。