ハーバード大学の歴史家ジル・ルポール氏は、2026年8月9日に取り上げられたインタビューで、民間のテクノロジー企業が民主国家によって伝統的に担われてきた機能を次第に引き受けていると主張した。ルポール氏は、その結果生まれる構造を「人工国家」と呼び、企業権力への批判はテクノロジーそのものへの反対とは異なると説明している。

ルポール氏は、著書『The Rise and Fall of the Artificial State』の刊行を前に、TechCrunchのポッドキャスト番組Equityでこの主張について語った。その歴史的考察は、機械による統治をめぐる数世紀にわたる提案と、技術システムが政治制度に取って代われるという繰り返し現れる考えをたどっている。また、そのような仕組みは最終的に不安定になるとも主張している。

懸念は、単に公的機関が新たな道具を使用しているということではない。政府は長年、迅速化、コスト削減、行政効率の向上のためにテクノロジーを導入してきた。ルポール氏によれば、民間企業が意図的に国家に似た役割を引き受け、有力な起業家が国民国家を超えることを提唱すると、その変化は政治的に重要なものとなる。市民は、その権限移譲に集団として同意していないと同氏は主張する。

その批判は、シリコンバレーがプラットフォームを説明する際に用いる言葉にも及ぶ。例えば、Twitterをデジタルな公共広場と呼ぶことは、民間が管理するサービスを、公共的義務を負う市民的制度であるかのように扱うことになる。内部で公共的な議論が行われている場合でも、システムの規則、アクセス、商業上の優先事項を決めるのは企業だ。ルポール氏にとって、市民社会を示す比喩と企業統治とのこの隔たりが中心的な問題となる。

SFも、この主張のもう一つの柱となっている。ルポール氏は、一部のテクノロジー業界の指導者、特にイーロン・マスク氏が、パルプ小説や漫画を選択的に読むことから政治思想を得ていると論じる。マスク氏が好む物語は、彼が表明する信念を支えるどころか、損ないかねないと指摘している。インタビューでは、これは特定の製品に関する実証的な知見ではなく、文学的・政治的批評として位置付けられている。

ルポール氏は、自身について知的・技術的変化に熱心であり、コンピューター科学者と結婚しているとも述べている。同氏が異議を唱えているのは制度的権力だ。効率性によって、誰が決定するのか、誰が説明責任を負うのか、企業システムとアルゴリズムによる統治の下で平等な権利が維持されるのかという問いが見えにくくなり得る。

インタビューでは、この主張をアップルの1984年のMacintosh広告やデータセンター計画への反対運動にも関連付けた。これらの例は、機械が官僚主義や政治から人々を解放するという、より長い歴史を持つ約束の中に現在の論争を位置付けるものだ。

ルポール氏の「人工国家」は解釈の枠組みであり、民主政府がすでに正式に置き換えられたとの報告ではない。その警告は、段階的な権限委譲が、国民に政治的選択として認識される前に構造化され得るということだ。同氏が提案する歴史的視点は、デジタルシステムを能力や利便性だけでなく、同意、正統性、統治権力の集中という観点からも評価するよう人々に促している。