出来事の日付:2026年3月10日。 クイックソート、ホーア論理、ALGOLに関する研究で知られる計算機科学者トニー・ホーア氏が3月5日、92歳で死去した。Computational Complexityブログに掲載された追悼文が伝えた。ホーア氏はチューリング賞受賞者で、オックスフォード大学の元教授でもあり、その研究はプログラミング言語研究と、ソフトウェアを書く日常的な実務の双方に影響を与えた。
ホーア氏との個人的な交流に基づいて書かれた追悼文は、数学や計算機科学を学ぶ多くの学生が初めてその名に接するきっかけとなるソートアルゴリズムをはるかに超えて、同氏の経歴が広がっていたことを強調している。クイックソート、ALGOL、ホーア論理を主な功績として挙げる一方、そうした成果の背後にあった人柄と経験に焦点を当てている。
ホーア氏は古典学と哲学を学んだ後、統合軍語学学校を通じてロシア語の集中訓練を受けた。その後、ソ連を含む各国で初期のコンピューターの実演に携わった。追悼文によると、そうした実演には機械についての詳細な知識が必要であり、コンピューターを紹介すること、プログラムすること、保守することの境界が現在ほど明確でなかった時代に、同氏はソフトウェア開発にも関わった。
繰り返し語られた逸話の一つは、エリオット・ブラザーズ社でクイックソートが誕生した経緯に関するものだった。ホーア氏は追悼文の筆者に対し、ある管理職が、自分がすでに実装したアルゴリズムより高速なソート方法を考案できない方に6ペンスを賭けた、と話した。ホーア氏の代案の方が速いことが実証され、同氏はそのささやかな賭け金が支払われたことも認めた。この記述はまた、依頼されていた低速な手法を同氏が先に完成させたことにも触れており、筆者はその点をホーア氏のプロ意識と謙虚さを象徴するものとみなしている。
追悼文は、晩年にケンブリッジで会った際のホーア氏について、頭脳明晰で、忍耐強く、ユーモアに富んでいたと描写している。同氏は、プログラムの規模が急速に拡大したことや、その拡大によってソフトウェアを論理的に考察するために必要な手法がどのように変わったかを論じた。また、ケンブリッジのマイクロソフトで勤務していた際、時折午後に映画館へ出かけたことなど、映画についても語った。
ホーア氏は、ハリウッドが天才を一瞬で描くことと、一つの問題に何年も苦闘することを対比した、同氏の言葉と一般にされている引用について慎重な姿勢を示していた。その根底にある指摘には同意したものの、それをいつ述べたのかは特定できず、オンラインで出回っている文言が不正確である可能性も受け入れていた。このやり取りには、慎重な推論への関心と、証拠なしに自分の言葉だと主張することへのためらいの双方が表れていた。
1934年1月11日生まれのホーア氏は、コンピューティングが珍しい実演用機械から世界中に浸透した産業へと移行する時代を生きた。この個人的な追悼記は、アルゴリズム、プログラミング言語設計、プログラム検証を今なお形作っている形式的な概念とともに、同氏の温かさ、忍耐強さ、明晰さを振り返って締めくくられている。



