公衆衛生上の対応

2026年8月24日、JSTOR Dailyの記事は、米国の多くの都市で歩行者になじみ深い問題、すなわちトイレを見つけるには民間事業者に利用許可を求めなければならないことが多いという状況について、歴史的背景を紹介した。記事は、公衆衛生政策、都市設計、そして誰が公共空間にいる権利を有するのかをめぐる考え方の変化を通じて、この状況をたどっている。

パリは初期の事例を示している。コレラの流行が繰り返され、人間の排泄物に対する考え方が変わると、当局は特定の街角での排尿を単に思いとどまらせるための設備を設けるだけの対応から踏み出した。1850年に公共の場での排尿が禁止され、代わりとなる場所が直ちに必要になった。市が出した答えは、ピソワール、別名ヴェスパジエンヌだった。これは鉄細工で装飾され、場合によっては照明や広告も備えた、しばしば華麗な路上の男性用小便所だった。

こうした施設が解決したのは、利用機会をめぐる問題の一部にすぎなかった。女性は公共生活に日常的に参加する存在ではないという前提を反映し、男性向けに設計されていたからだ。また、プライバシーが限られていたため、計画者が意図しなかった使われ方も生まれた。男性との出会いを求める男性たちは、そこを人目につかない待ち合わせ場所として利用し、落書きを通じて意思疎通した。その後、警察による監視や恐喝が起き、住民が公式の目的外の必要に合わせてインフラを使うようになると、それがいかに争いの対象になり得るかが示された。

酒場からコンフォート・ステーションへ

米国では、自治体によるトイレ整備を求める動きが禁酒運動と絡み合った。大都市では酒場が非公式なトイレ網として機能していたため、トイレを使うには酒を販売する店に入らなければならないことがあった。禁酒運動家らは、酒場を閉鎖するなら、人々が用を足せる別の場所も用意しなければならないと主張した。

改革派は、パリで見られた仕切りが最低限しかない男性用小便所ではなく、多数の個室を備えた大型の公衆「コンフォート・ステーション」を推進した。しかし、公共施設の建設は意図せぬ変化をもたらした。自治体の代替施設ができると、一部の民営トイレが利用を制限したのである。禁酒法が施行されていく中で、公共施設の建設は減速し、既存の施設も荒廃した。記事によると、かつて米国の都市にあった大型の地下コンフォート・ステーションは、その後ほぼ完全に姿を消した。

その結果、ホテル、商店、レストラン、コーヒーハウスが公共インフラの代わりを務めることの多い仕組みになっている。無料で利用できる場合もあるが、それでも管理するのは事業者であり、その人が客に見えるかどうかによって利用の可否が決まり得る。この仕組みではプライバシーが条件付きとなり、利用者は身分に関する判断にさらされる。

歴史が示唆するのは、この不足が一つの決定によって生じたのではないということだ。公共施設は、公衆衛生上の緊急事態、道徳運動、ジェンダーによる排除、取り締まり、維持管理上の選択によって繰り返し形作られた。その衰退によって、基本的な生理的欲求を満たすにも私有地を介した交渉が必要になった。この結果は今も、米国の多くの中心街を移動する体験を特徴づけている。