出来事の日付:2026年6月3日。
ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースは同日、1975年の長編映画『まわり道』について、撮影当時13歳だったナスターシャ・キンスキーの裸体が映る場面が含まれていることを理由に、現在の配給から外すと述べた。この措置は、その場面をめぐる状況についてキンスキーが公に批判し、映画の再編集を求めたことを受けたものだった。
この決定により、ニュー・ジャーマン・シネマの影響力ある作品が、芸術的遺産、同意、そして制作終了から長い年月がたった後も監督や権利保有者が出演者に対して負う義務をめぐる、より広範な議論の中に置かれることになった。ヴェンダースは、撮影中にキンスキーがもっと適切に保護されるべきだったと認め、彼女に謝罪した。また、双方が受け入れられる今後の道筋を模索する間、同作を公開停止のままにするとも述べた。
報じられた声明によると、公開停止の対象には、ストリーミング配信やテレビ放送など、現在の上映・配給経路が含まれる。このため、この措置は単なる象徴的な意思表示以上のものとなる。数十年にわたり流通してきた映画への一般のアクセスを一時的に中断し、議論を抽象的な倫理から、古い作品が参加者の一人によって問題視された際に各機関は何をすべきかという実務的な問いへ移すものだ。
キンスキーの異議申し立ては、若い頃にスクリーン上で裸体をさらしたことについて、彼女が長年にわたり提起してきた懸念にもあらためて光を当てた。報じられた内容の中で、彼女は初めて映画に出演した際に守られていないと感じたと語った。この視点が重要なのは、『まわり道』がしばしば、主としてヴェンダースの経歴における位置づけや、同作が取り入れた文学・映画の伝統という観点から論じられてきたためである。それに対し、2026年6月の論争では、若い女優の体験と、制作現場を律していた基準が中心に据えられている。
ヴェンダースは、キンスキー、ドイツ映画アカデミー、その他の映画団体を交えた、より広範な議論を望んでいると示した。同氏の発言からは、現在では異なる評価を受ける制作過程を持つ20世紀の作品について、同様の問題に直面するアーカイブ、映画祭、財団にとって、この事例が一つの参照点となる可能性がうかがえる。その一方で、完成済みの映画を遡及的に改変すれば、自身の作品群をはるかに超える影響を持つ先例になりかねないと警告したとも報じられている。
この緊張関係こそが、公開停止を文化的に重要なものにした。問題は、一つの場面を流通させ続けるべきかどうかだけではなく、映画界が、保存、説明責任、そして不平等な条件下で若い頃の姿を記録された人々の訴えの間で、どのように均衡を取るかという点にある。まず映画を配給から外し、最終的な解決策を未定のままにしたことで、ヴェンダースは個人的な訴えを、映画史を現在どのように扱うかを問う公の試金石へと変えた。



