出来事の日付:2026年8月21日

ライターでソフトウェア実務家のラファウ・シメリスは、労力をあまりかけずにAIで生成された文章に対する、個人的な新たな反応について説明した。見慣れたパターンを認識すると、内容を十分に理解する前に、その文書を頭の中で除外してしまうというものだ。ウェブ利用者が広告バナーを無視するようになることになぞらえ、彼はこの体験を「AI盲目になること」と呼んでいる。

シメリスは職場の文書を読んでいるとき、このパターンに気付いた。資料を読み進めているようには見えていたものの、その意味に集中できていないことに気付いた。その結果、文書上はすでに扱われていた点について、送信者と繰り返し話し合うことになった。複数の事例を検討した後、どの文書にもAI支援の強い痕跡があると結論付けた。

彼が挙げた例には、Claudeに特有の定型句や分析を含む設計文書、妥当な戦略と無関係な技術アーキテクチャを組み合わせた20ページのマーケティング資料、単純な構想について異常に冗長に書かれた要件文書がある。共通する問題は、単に特定の語彙ではなかった。細部を画期的な発見のように扱い、不確かな内部推論を残したままにし、意味を付け加えずに単純明快な情報を膨らませる構成だった。

このエッセーは、人が機械生成の文章を確実に見分けられるかをめぐり、研究と議論が続いていることを認めている。シメリスは、少なくとも編集が限られた生成物については、人間はこの作業が不得手だという大まかな主張に同意していない。彼の観察は対照実験による検出研究ではなく、彼が気に入らなかった文章のすべてがモデルによって生成されたことを証明するものでもない。

中心的な懸念は注意力だ。彼の説明によれば、型にはまった投稿、メール、ウェブサイトに触れ続けたことで、似た資料をすぐに退けるよう訓練されてしまった。このフィルターは情報過多から身を守る可能性がある一方、見た目が人工的な文書に実質的な詳細が埋め込まれている場合、有用な情報まで見えなくしてしまうことがある。職場では、その代償が確認のための会議やメッセージという形で再び現れる。

シメリスは、この影響を、繰り返し目にすることで見慣れた視覚的カテゴリーを無視しやすくなる「バナーブラインドネス」になぞらえている。彼のいう現象では、この仕組みが語調、文の流れ、誇張された枠付けに適用される。生産性向上をうたうツールが、未編集の出力によって同僚により多くの読解と検証を強い、共同作業を遅らせかねないのは皮肉だと彼は記している。

このエッセーは、AIの支援を受けた文章がすべて空疎だとも、文書作成からモデルを排除すべきだとも主張していない。代わりに、挙げられた例は編集上の問題を示している。つまり、生成された資料に見分けやすい埋め草が残り、読み手の必要性を優先できていないという問題だ。したがって、シメリスの定義するAI盲目は、個人の習慣であると同時に、言葉を増やすことがコミュニケーションを改善するどころか、かえって損ない得るという警告でもある。

その実務的な含意は書き手に向けられている。自動化の痕跡が目に見えると、基となる文書に答えが含まれていたとしても、それ自体が障壁になり得る。