9月20日に公表された論考は、AIが執筆を支援する文章に対して高まりつつある不満を言葉にした。その多くが、同じ慎重で前向きな、どこまでも洗練された語り手による文章のように聞こえるというのだ。書き手でありスタートアップ業界の経験者でもあるサギブ・オフェクは、問題は人工知能の利用そのものではなく、利用者がモデルの標準的な文体を受け入れることで、個人の声が失われることだと述べる。

オフェクは、製品発表、LinkedInの投稿、オンラインの論考で繰り返される一連の型を説明する。普通の書き手なら二つの率直な文で済ませる場面でも、考えと考えが非の打ち所のないつなぎの表現で結ばれる。製品は新しい考え方を切り開くものとされ、企業は何かと何かの交差点に位置すると語られ、単純な事業計画に手の込んだ企業用語が付け加えられる。投稿はしばしば均整の取れた列挙を経て、ある問題が「何の話ではない」のかと「本当は何の話なのか」の対比で締めくくられる。

オフェクによると、その結果は、技術的には巧みでありながら、不完全な部分が取り除かれたためにかえって信頼しにくく感じられる文章だ。議論にきれいに収まらない個人的な観察は消える。ためらい、唐突な転換、率直な告白は滑らかな展開に置き換わる。弱さを示す表現でさえ、おなじみの型にはまり、個人の経験が何千もの別の投稿に似た言葉になってしまうことがある。

オフェクは、執筆ツールを捨てるべきだという議論ではないと明確に述べている。長い原稿を読みやすく削ったり、散らばった考えを整理したりする際に、AIは役立つという。危険が生じるのは、ツールが最初に出す言い回しが、そのまま完成稿の語り口になるときだ。多くの人が似たシステムを似た方法で使えば、出力は明瞭ではあっても、誰が書いたか判別しにくい平均的な文体へ近づき得る。

提案する対処法は、編集でやりすぎないことだ。書き手は、自分が声に出して言わないような専門めいた言葉を取り除き、すべての段落を対称的に整えたい衝動を抑え、自分の話し方だと分かる文を残すべきだという。この助言は生成AIを、自動的に最終稿を作る機械ではなく、その提案になお人間の判断を要する編集補助として扱う。

この論考は意見文であり、モデルの出力を条件統制して調べた研究ではない。また、こうした習慣がどのくらい広がっているかを測ろうともしていない。その価値はむしろ、読者が自動生成の文章と結びつけるようになっている具体的な特徴を指摘した点にある。議論はオンラインの意思疎通における実務的な変化も示唆する。流暢な文章が安価で豊富になるにつれ、独自の声は重要でなくなるどころか、いっそう重要になり得る。AIツールを使う著者や企業にとって、競争上の問いは、原稿が賢そうに聞こえるかだけではなくなった。誰が語っているのかを、読む人が見分けられるかどうかなのである。